お母さんとの出会いについて 思い出したことから書きます。
出来れば、文章を読みながらお母さんがどんな日々を過ごしていたか、どんな人間関係をもって
おられたかなどを想像してみてください。

だだ、お母さんという人は本当にお友達の多い人でした。たくさんの人間関係の中で、もっともっ
と、違う世界をたくさん持っていたはずです。それらのことは、山口におられるおじちゃんや色
んな人たちに聞いてみるといいと思います。

おかあさんと私は昭和60年頃、H大学S学部で初めて出会いました。
お母さんは山口県のY高校から京都の芸術短大に進学され、卒業後は電通にお勤めでした。
電通ではラジオ番組制作に関わるお仕事をされていたと聞いています。
その後、故郷のお父様(和くん雄くんのおじいちゃん)が当時H大学長とお知り合いだったという
ことで、大学の事務職の非常勤職員として採用されたそうです。
工学部長秘書として採用されたお母さんでしたが、市内にあった工学部が郊外へ移転し、市内
からの通勤が困難であったので、まだ市内から移転前の本部キャンパスへの配置換を希望し
ていたようです。
市内のキャンパスへの配置換先が、私と初めて知り合ったS学部です。
お母さんはまず経理係へ配属されました。
S学部へ来られてすぐにお母さんと親しくなったわけではありません。
用事でどうしても自転車が必要となった時に、お母さんに貸してくださるよう私が頼んだのが、一
対一で口をきいたはじめての場面です。
お母さんは一つ返事で本当に気持ちよく優しい口調で「いつでも使っていいよ!」とニコニコして言
ってくれました。
このときのお母さんの印象の良さは、私が彼女と知り合ってから17年近くもの間、ずっとずっ変
わることなく継続したもののひとつです。
 当時私は既に結婚していて、子供も生まれていました。夫はまだ学生で周囲のお友達はほと
んどが独身生活を謳歌しているように思えてなりませんでした。いつも苦しい淋しい自分の束縛さ
れた立場を悲観していました。
ある時、昼休憩時間に大学の周辺でお母さんに偶然出会うことがあり、その時をきっかけに私
は自分の身の上を彼女に何でも話すようになりました。
お母さんは本当にはじめから私に心を開いてくれて、何でも聞いてくれるようになりました。
やがて、経理係から庶務係へ配置換えとなります。
庶務係というところは総務関連の窓口となる所で、お母さんはまさにその窓口業務にふさわしい
開放的で気さくな人柄を生かしていました。
仕事のことでお母さんのところに来た人たちも、そうでない人たちも思わず声をかけたくなるよう
で、お母さんの周りにはいつもいろいろな人達がいて、私などは羨ましい気持ちにさせられるこ
とがしょっちゅうでした。
お母さんがあまりにも心温かく、親切で優しい方なので、私はもっともっとお母さんと親しくなりた
いと考えるようになりました。

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