当時、私は子育てと仕事と主婦業の両立に精一杯で心に余裕もなく、結婚したことでさえ、良かった
と思えないほど悲観的になっていました。
そんな時に私を励ましてくれたのがお母さんです。
お母さんは和くんと雄くんのおばあちゃんが40歳過ぎて生まれた子供だったので、自分は早く結婚し
て若いお母さんになりたいと言っていました

だから、私のように早く結婚して子供を産んだ人を羨ましいと言ってくれました。
でも、今考えてみればお母さんはいつかお父さんと出会うためだけに、遠回りしていたんだなあと心か
ら思います。
そして、私が悲観していた自分の立場についても悲観するべきものではなくて、本当は幸せなことなの
だということを、噛み砕いた言葉で一生懸命話してくれました。
私がくじける度に、何度も何度も力づけてくれました。
私のあまりにも早い結婚を面白可笑しく、批判する人も中にはいましたし、面と向かって中傷する人も
いました。
 
 ある時、職場の歓送迎会の席で、私がお母さんの目の前で男の人から中傷された時、お母さんはも
のすごく強い口調で相手の人を戒めてくれました。
いじめられている人をかばうという事は勇気のいることです。
ましてや、自分より目上の人に対してだったのに、恐れることなく守ってくれたのです。
あの時、私はお母さんから大きな勇気を与えられたような気がします。
何年か後、お母さんにその話をしたら、本当に穏やかな表情でただ笑っていました。
誉めてもたたえも決しておごることのない人。
優しさをさりげなく人に与えられる人。
お母さんは寒い日に何の迷いもなく自分のマフラーをはずして、相手の人の首にかけてあげられるよ
うな人でした。

 その後、彼女は庶務係から物理学教室へ配置換になりました。
教室系事務職員は大学の先生方が教育・研究をする上で事務的な部分でサポートする仕事ですが、
お母さんは先生方だけでなく学生達からも、とても人気がありました。
気さくで頼んだこと以上のことを快くやってくれるという評判でした。

 やがて、私は二人目の子供を妊娠し、出産後一足先に大学の仕事を辞めました。
その後もお母さんと私の交流は続きます。
 お母さんはその数年後に、広島のH研究所というところに転職しました。
そこでのお母さんのことについて多くを知っている人は、通訳のMさんという人だと思います。
お母さんには大阪在住の学生時代からの親友がいます。私は面識がないのですが、多分彼女はもっ
と若い頃のお母さんをよ〜く知っておられると思います。(お父さんは会った事があると思います。)
 私はその後、夫の勤務先の転勤で横浜へ4年間移り住みました。
多分、その頃がお母さんのそれまでの人生の中で、一番苦しい経験をした時期だったと思います。
何故なら、お母さんの両親(かずくんとゆうくんのおじいちゃんとおばあちゃん)が病に倒れられ、看病
の甲斐もなく次々に亡くなられたからです。
お母さんは特にお父さんっ子だったと自分で言っていました。
私は遠方に住んでいたのもあり、結局はお母さんが一番辛い時期に、傍で力になってあげることが出
来ませんでした。


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